東京高等裁判所 昭和35年(う)779号 判決
被告人 小泉幸男
〔抄 録〕
所論は原判示の土地は、被告人の父小泉富次の名において耕作する畑地であり、右畑地は多年被告人方において耕作しこの耕作権は農地法の規定によつて保護されていて、所轄の石下町農業委員会においても小泉富次の耕作地として正規の登録が為されている、然るに土地所有者新井養老は、この農地を取り上げる為に板塀等の工作物を設置したものであるが、当時本件農地については被告人方において蕎麦を栽培しておりその管理収穫ができなくなつたので、被告人はその妨害を排除するための自救手段として本件所為に出でたものである、更に損壊した板塀は一間幅位であつて、農耕のため出入するにつき最少限度に過ぎず、必要の限度を超えた破壊行為をなしたものではないから、被告人の本件所為は全く自救行為であつて違法性がない旨主張する。按ずるに、記録特に登記簿謄本二通(記録二百四十三丁、二百五十三丁)、証人新井養老、同新井ヨネに対する尋問調書、原審公判廷における証人小泉富次(百十九丁)、同新井養老(百九十五丁、二百七十六丁)、の各供述記載、下妻簡易裁判所における小泉富次に対する窃盗被告事件の第二回公判調書(謄本)中証人新井養老の供述記載(二百八丁)同上第七回公判調書(謄本)中被告人小泉富次の供述記載(二百二十一丁)、同上第十回公判調書(謄本)中証人新井養老の供述記載(二百八十四丁)、並びに被告人の原審第五回公判廷における供述記載(百八十丁)、及び被告人の検察官に対する昭和三十三年九月十一日付供述調書の記載を総合すれば、原判示土地は、新井養老の父秀一郎が昭和十二年三月八日売買による所有権取得の登記を了し、同三十二年四月十四日同人死亡により、養老が同年七月二十四日相続登記をなしたこと、秀一郎は病気療養等のため自ら本件畑地等の管理ができないため、甥である小泉富次にその管理を依頼したこと、本件土地は永らく竹藪として放置されていて昭和三十二年秋にも農作物を栽培したことはなかつたが、富次は昭和三十三年三月十二日頃同所の一部に生育した竹を伐採してその跡に馬鈴薯を栽培したが、その馬鈴薯は被告人が原判示所為の日より前に既に収穫して運び終つたこと、そして原判示の日に被告人は右土地に蕎麦を蒔きつけたものであること、一方新井養老は富次に対し土地返還の調停の申立を為したが不調に終り、かたがた富次が右の如く竹を伐採したため、同年三月二十四日頃原判示の有刺鉄線を張り、同年七月二十四日頃に至り原判示の板塀を設置したことがそれぞれ認められる。しかして本件記録に徴するも富次もしくは被告人が本件土地に果して所論のような耕作権を有していたか否かは必ずしも明確とはいえず、結局は民事訴訟において裁判の確定によつて決定するほかはないが、仮りに富次もしくは被告人に所論のような耕作権があるものとしても、直ちに以て被告人の本件所為が自力救済として違法性を阻却するものと即断することはできない。蓋し濫りに自力救済を許容するときは、社会の秩序は破壊され国民生活の安全を脅かす結果を招来するに至るから、たとえ不法な侵害であつたとしても、それを排除するには国家機関の法による保護救済を求むべきであつて、自力による救済が許されるのは、法がとくに許容した場合もしくはこれに準ずる場合にのみ限られるものと解するを相当とする(最高裁判所第二小法廷昭和二十七年三月四日判決、判例集六巻三号三四五頁、同裁判所昭和三十年十一月十一日判決、判例集九巻一二号二四三八頁)。しかるに本件においては新井養老が有刺鉄線を張つたのは昭和三十三年三月二十四日頃、また板塀を設置したのは同年七月二十四日頃であること前認定の如くであるから、被告人方においてこれがため耕作権を侵害せられるものとするのであれば、当然直ちに法が認める救済手段を国家機関に求むべきでありかつその時間的余裕は十分にあつたのに拘らず、記録に徴してもその間何等かかる手段に訴えることに手を尽した事跡も見えず、荏苒日を過し、同年八月七日に至り蕎麦の蒔付けをするからと云つて突如として板塀を損壊した被告人の本件所為は、急迫不正の侵害に対し已むことを得ざるに出でた正当防衛と云うことはできないのは勿論緊急避難に該当する場合とも認められない。その他記録を精査検討しても、当時の情況に照らし被告人に本件行為を自力救済として許さなければならないような特段の事情があつたものとは認められないから、結局被告人の本件所為は違法性を阻却するものということはできない。しからば被告人の本件所為は刑法第二百六十一条に該当するものとしてその処罰を免かれないことは明らかである。所論は要するに独自の見解にもとづいて原判決を非難するもので採用に値しない。論旨は理由がない。
(三宅 井波 東)